法廷日記

浦部孝法の日記です。時事問題、法律問題に関して適当に書いています。

痴漢冤罪、名倉最高裁逆転無罪事件を振り返る

痴漢冤罪の最高裁判決といえば、いわゆる名倉判決が著名である(最判平成21年4月14日)。

名倉事件は、当時防衛医大教授であった名倉氏が、小田急線の電車内で女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつの罪で起訴された事件である。1審、2審は名倉氏が痴漢をしたとして、名倉氏を懲役1年10か月の実刑としたが、最高裁は1審、2審判決を破棄し、名倉氏に対して無罪判決を言い渡した。

名倉事件の起訴事実は概ね次のとおりである。

被告人(当時60歳)は、平成18年4月18日午前7時56分ころから同日午前8時3分ころまでの間、東京都世田谷区内の小田急電鉄株式会社成城学園前駅から下北沢駅に至るまでの間を走行中の電車内において、乗客である女子高生(当時17歳)に対し、パンティの中に左手を差し入れその陰部を手指でもてあそぶなどし、もって強いてわいせつな行為をした。

名倉氏は当初から一貫して事実を否認していた。

最高裁が無罪判決を下したポイントは概ね次のとおりだ。

  1. 痴漢の証拠が被害者の証言だけであること
  2. 名倉氏に前科前歴はなく、痴漢性向・性癖を伺わせる事情もないこと
  3. 名倉氏の手指の繊維鑑定の結果、被害者のパンツの繊維は顕出されなかったこと
  4. 痴漢行為は相当執拗かつ強度なものであるにもかかわらず被害者はそれを回避する行為を取っていないこと
  5. 4の事実と、被害者が名倉氏のネクタイをつかみ「電車降りましょう。」「あなた今痴漢をしたでしょう。」「この人痴漢です。」と糾弾したことがそぐわないこと
  6. 被害者は成城学園前駅でいったん下車しながら再び名倉氏のそばに乗車していること

4~6が被害者の証言に疑わしいところがあると考えられる事情である。4~6の事情も1つ1つみてみれば、痴漢被害者の行動としてさほど不自然ではないとしても3つを併せて考えれば多少不自然だといえると考えられるのであろう。

被告人サイドからすれば、3の繊維鑑定の結果が白というだけで本来十分なはずであり、それ以上どう防御すればよいのかという感じであろう。

また、本件では被害者はパンツの中に手をつっこまれたと証言しているのであるから、名倉氏の手指に被害者の体液が付着している可能性があり、捜査機関はDNA鑑定をすることで証拠を獲得することができた。しかし、捜査機関はDNA鑑定をしていなかった。これは捜査機関の落ち度といえる。そのようなエラーは本来犯罪立証義務を負う検察官側が責めを負うべきであるが、そのようには扱われていない。

被害者の証言だけで有罪とされてしまうのであれば、被告人に有利に働く可能性のある証拠獲得の責務を捜査機関側に負わせておかないと被告人が圧倒的に不利である。証拠がないということは、無罪推定の原則からすれば本来被告人に有利に働かなければならないはずだが、現実には無罪の証拠がないから有罪にするという有罪推定が働いてしまっているのが問題である。

被害者の証言にしても、「具体的」「迫真的」「内容自体に不合理・不自然な点はない」といった抽象的な評価でほぼ一律に信用性が認められてしまっているのも問題だ。被害者の供述録取書は、警察官・検察官の巧みな編集・脚色が加えられているものであり、公判廷での証言も事前に検察官との綿密な打ち合わせをして臨むものであるから「具体的」「迫真的」「内容自体に不合理・不自然な点はない」とならないわけがない。

ところで、名倉判決では

「本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易でではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。」

と判示されており、満員電車の痴漢事件においては、被害者の証言の信用性を慎重に判断しなければならないとしている。

しかし、この考え方が下級審にも徹底されているかは、先日のJR武蔵野線の高裁逆転無罪事件を見ている限り疑わしい。同事件も1審では、被害者の証言を全面的に信用した有罪判決がなされていたのである。

電車内「痴漢」、男性に逆転無罪 「被害者証言信用できず」|カナロコ|神奈川新聞ニュース