法廷日記

浦部孝法の日記です。時事問題、法律問題に関して適当に書いています。

ご飯を食べに行くときって結構みられているんだよって話

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最近これから社会人になる人たち(学生とか研修中の人たち)とご飯を食べに行くことが多くなってきました。

僕が学生の頃なんかはよく知らない社会人のおっさん達とご飯を食べに行くのは嫌で嫌でしょうがなく罰ゲームみたいなもんだと思っていました。

そんな感じなので、ご飯に行く際も特に何も考えずにおっさん達の話を黙って聞いて漫然と高そうなご飯をごちそうになっていました。ノリも悪く断ることの方が多かったです。

そんな僕も働くようになり、経営者たちとご飯を食べに行く機会が増えて考え方が全く変わりました。

なにがしか成功している人たちは、その場が快適な場になるように常に気遣いを欠かしません。これは「ウェーイwww」と盛り上げる的なあれではなく、会の日時、店選び、席の配置、メンバー構成、飲食のペース、机上のスペースの整理、会話の内容、サプライズ、手土産、ノリの良さ、アフターフォロー等、すべてその場に居る人たちが気持ちよくすごせるように考えつくされているんです。

そんな体験をして僕も彼らのマネをするようになりました。その結果、良い友達やビジネスパートナーが増えて、運気も上がった気がします。

気遣いを真剣に考えるようになった結果、副次的な効果として気遣いができる人とできない人が見えてくるようになってしまいました。昔の自分がどう見られていたか考えるとゾッとしてしまいます。

さて、学生さんたちとご飯を食べに行くと、当時の僕と同じで気遣いができる人なんてほとんどいません。学生のうちはそんなもんだし、僕もそれでいいと思ってます。でも、たまーにできる人がいるとその人はすごく目立ちます。この目立つという感覚は社会人から感じるものと学生さんから感じるものでは全く違います。

かつて僕の同期で、当時の僕から見たら目立ってて、かつ経歴や容姿も悪くないのですぐにいいところに就職が決まるだろうと思っていた人がいました。ところが、いろいろ就職の世話をしてくれていた人がポロっと「彼は就職は相当苦労するだろうね。」と漏らしたんです。

で、実際そのとおりになりました。当時僕はなんで彼がいいところに就職が決まらないのだろうと思っていたのですが、今ならその理由がわかります。今振り返ると、彼は声も大きく自信に満ちあふれており集団の中で目立ってはいましたが、周囲の人に対する気遣いに欠けていたのです。

社会人が若い人とご飯を食べに行く目的は、若い子と付き合いたいとか以外は基本的にリクルートです。若くて有望なビジネスパートナーを探しています。自分に縁がなくても、他に紹介できるような人にでも出会えるたら嬉しいものです。

そういとうきに選ばれるのは、基本的にはコミュニケーションが円滑に取れる人でありその指標は気遣いができるかどうかです。

以前、有名社長が志願者に3000万円を投資する成り上がりジャポンとかいうテレビの企画で、飲み会の席で一番気遣いができていなかった志願者が落とされていました。

そんな感じで実は見られている(あるいは見えてしまう)んですね。

ですので、チャンスが欲しい若者はそういった点を意識するだけでも運気が上がってくるでしょう。これは若い人に限らず通じる話だと思います。