法廷日記

浦部孝法の日記です。時事問題、法律問題に関して適当に書いています。

誠意とはお金を払うことであり、それには方法論はない

仕事上、交渉の相手方から誠意をみせろと言われることは多い。ヤクザがこの言葉を使う場合は、直訳すると「金を出せ。」ということを意味する。では、一般人がこの言葉を使った場合、誠意とは何を指しているのだろうか。その答えは、やはり「金を出せ。」である。

僕は、弁護士を志した以降、ずっと誠意とは何かについて考えてきた。現時点でたどりついた回答は「誠意とは、お金を払うことである。」というものである。金じゃないんだよという人も中にはいるが、結果的に金でなかったことはない。結局、金でしかその人の誠意ははかれないからだ。

国語辞書によると「誠意」とは

私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。まごころ。

引用:せいい【誠意】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

と定義される。

この点について、言葉や行動はいくらでもごまかしがつく。本心とは別に、謝罪をすることや感謝の言葉を述べることはいくらでもできる。いくら謝罪や感謝の念を述べたところで本人の懐は痛まないからだ。

しかし、お金を払うことについては一切ごまかしがきかない。金額という尺度で客観的に判断され、支払った分は必ず本人の懐を痛める。個人が相手に正直に示せるものは、相手のためにどれだけ自分の懐を痛めることができるかということくらいなのだ。

刑事裁判では、直接言葉で表現はされていないものの、誠意とはお金を払うことであるということが正面から肯定されている。

被告人が、いくら心の底から反省した謝罪文を被害者に宛てて謝罪を尽くした事実よりも、被害者にお金を払った事実の方がはるかに高く有利な情状として評価される。刑事裁判では、被害者への謝罪の手紙や裁判官宛ての反省文が当たり前のように情状証拠として弁護人から提出されている。しかし、裏を返せばこの程度のことは誰でも簡単にできるから行われているにすぎない。そのため、裁判所からも謝罪文や反省文は何もないよりはマシという評価しか受けない。それがいかに被告人の真摯な気持ちに基づくものであったとしてもだ。

我が国の司法も誠意とは金だと考えているのである。

それでも、誠意とは金ではないという人にはぜひ試してほしいことがある。もしあなたに母親がいるなら、母の日に「ありがとう。」とだけ言った場合と、旅行でも食事でも小遣いでもなんでもいいからあなたの懐が痛む出費を母親のためにした場合とで、母親のあなたに対する評価の違いを確かめてほしい。

親子間の誠意ですら金なのである。

追記

以下はプロ野球の福留選手の名言とのことである。

誠意は言葉ではなく金額

誠意は言葉ではなく金額とは - 意味/元ネタ/使い方|なんJ