一橋大学法科大学院の院生が同級生にゲイであることを本人の意思に反して暴露された精神的苦痛により自殺したとして、ゲイの院生の遺族が、暴露した同級生及び大学に対して損害賠償を求める訴訟を提起した。
本件訴訟はアウティング(暴露)という言葉の世間の認知度を格段に上げた。遺族側の代理人弁護士は自身もゲイであることをカミングアウトしている著名な弁護士夫夫(ふうふ)だ。代理人及び遺族は、第1回口頭弁論があった平成28年8月5日、本件訴訟の記者会見を開き、亡くなった院生(Aくん)の無念を訴えた。
ところで、僕は訴訟を報道させるための記者会見というものが嫌いである。報道のインパクトはとてつもなく大きいのに対し、報道時点で事実関係の検証は全くなされていないからだ。
つまり、原告の記者会見後になされる報道は、原告の訴状提出段階の主張を一方的に伝えるものにすぎず、その内容が真実かどうか、経緯、被告の反論などが全くわからないにもかかわらず、ショッキングな部分だけが強調されて視聴者や読者に伝わってしまうという問題がある。一応形式的な反面取材はなされるが、被告側はいきなり取材を受けても十分な反論ができるわけがないので、お決まりの「訴状を受け取っていないので答えられない」「ノーコメント」としか答えられない。
実際、暴露した同級生(Zくん)及び大学が請求の棄却を求めており、事実関係の詳細や真偽が不明である現段階にもかかわらず、今回の報道を受けた世論の大勢は、Zくん及び大学を悪人と決めつけ、Zくんらを擁護しようものなら差別主義者などと非難されるものとなっている。
訴訟の存在を報道させるための記者会見の流れはこうである。
- 原告側が司法記者クラブ幹事会社(例えば○○新聞等)に連絡をとり、こういう訴訟を起こしたという記者会見やりたいと取材依頼、日程の調整
- 訴状の写し、解説資料等を配布した上で記者会見、取材(質疑応答)、場合によっては入廷シーン等の撮影
- 反面取材(訴状が届いてないので答えられない、突然の取材には答えられない)
- 記者会見当日中、遅くとも翌朝の朝刊・ニュースで報道
記者会見は原告側主導で進められ、報道に至るまでの間に被告側が関与するのはせいぜい二言三言のコメントくらいである。
報道は、記者会見で配布された資料や質疑応答などを元に行われ、記者独自で事実関係の検証などはほとんどなされない。
しかし、訴訟が提起された段階では原告の主張している事実関係が真実かどうかは当事者以外には本来わからないはずである。仮に原告が被告に殴られ怪我をしたとして損害賠償を求める民事訴訟を起こしたとしても、被告が争っている限り、真偽はわからないのである。蓋をあけてみれば、実は被告は原告を殴っていなかった、実は原告が先に被告を殴っており被告の暴行は正当防衛だったとかということもありえる。被告が自己の無実を証明できるのは判決がなされる数年後になるが、その頃には世間は事件に対する関心を失っており、被告にとっては不名誉な報道だけが世間に浸透してしまうことも珍しくない。
そのため、記者会見は使い方によっては強力な暴力兵器となるのである。もっとも、使い方を誤ればその刃は自分たちにも返ってくるそおれもある。記者会見の内容が事実に反したり、プライバシーの侵害にあたるような場合は、原告側が被告から損害賠償請求を受けたりすることもある。
このように原告側の記者会見に基づく報道は、あくまで原告の主張を伝えるものに過ぎないから、その内容は慎重に吟味し、鵜呑みにしないように注意しなければならない。
さて、前置きが長くなったが、今回の一橋法科大学院ゲイアウティング事件の報道を受けて、僕が疑問に思った点は次の2点である。それは、①LINE暴露までの経緯が不明、②請求額が低額過ぎるということである。
1.LINE暴露までの経緯が不明
AくんがZくんに対してLINEで恋愛感情を伝えたのは2015年4月3日、これに対するZくんの答えは「付き合うことはできないけど、これからもよき友達でいてほしい」というとりわけ常套な断り文句(Aくん遺族の主張)。
これに対し、Zくんが、同級生9人が参加するLINEグループでAくんがゲイであることを暴露したのは2か月半後の2015年6月24日(LINEの画面証拠有)。この2か月余りの間でAくんとZくんの間にどのようなやり取りがあったかは報道からは不明である。
そして一番よくわからないのは、ZくんのLINE上の暴露コメントである。その内容は、
おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん
というものだ。9人が参加しているLINEグループで、Zくんが「おまえ」という二人称を使っており、誰を指しているのかがわからない。にもかかわらず、Aくんが即座に「たとえそうだとして何かある?笑」と返信しており、2人の間では会話が成立している。「ごめん」の後にAくんの名前が書いてあって、マスキングがされているだけなら会話が成立していることが理解できるがそうでないなら状況がさっぱり不明である。公開されている画像だけではマスキングがされているかはわからないが、報道には「ごめん」(弁護士ドットコム)でとどまるものと、「ごめん」でとどまらず「ごめんA」(バズフィードジャパン)と反訳されているものもあり、マスキングがされているのかもしれない。
また、このLINEに参加していた残りの7人はAくんがゲイであることを知っていたのかどうかも不明である。9人程度の少人数のLINEグループを作るくらいだからそれなりに親交の深い9人だと思われるが、残りの7人が既にZくんからAくんに告白されたということを聞いていた可能性も十分考えられる。その場合、LINEでのコメントはもはや暴露ではなく、LINEコメント以前に残りの7人に話したことがプライバシー侵害との関係で問題となるが、友人に共通のゲイの知人から告白されたことを話すことが非難できるかは議論が分かれるところであろう。
2.請求額が低額過ぎる
Aくんの属性、すなわち大学院生・25歳・男が死亡した場合の損害額は1億円を下るものではない。にもかかわらず、遺族の請求額はZくんに対し100万円、大学に対し200万円と低額なものである。
これは、そもそも遺族としては死亡の責任まではZくん及び大学に求めるものではないのか、それとも単なる一部請求としているだけなのか(だとしたらZくんと大学で請求額が違うのは疑問)、はたまた遺族の被告らに対する情けのつもりなのか、いまいちよくわからない。
Aくんがアウティングによる多大な精神的苦痛を受け死に至ったという事実が強調されるなか、この低額な請求額は謎である。
いずれにせよ、仮に今後Zくんが司法試験に合格し、法曹の道を進むにしても、その道のりは試練になることになった。法曹会は非常に狭い村社会なので今回の報道により、とりわけ同期にはZくんの本名等は知れ渡ることになり、Zくんは非常に居心地が悪い司法修習生活を送る可能性が高い。自分の裁判を同期の修習生が傍聴にくることだってありうる。これは本件裁判でZくんの責任が認められるか否かにかかわらず現時点でZくんに発生する可能性が高い不利益である。
Zくんが責任の有無にかかわらず、Zくんに事実上の不利益が発生してしまう。報道というものはおそろしい凶器である。