法廷日記

浦部孝法の日記です。時事問題、法律問題に関して適当に書いています。

ラーメン屋のネギ食べ放題論争はラーメン屋に軍配をあげたい

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ラーメン屋で「ご自由にお取りください」と書かれていたネギを大量に取った客が出禁をくらった件が論争になっている。ついには弁護士が法的見解を示すまでにいたった。

「ご自由にお取りください」ラーメン屋でネギを大量に食べたら「出禁」こんなのアリ?|弁護士ドットコムニュース

リンク先で示されている弁護士の見解の要旨は次の通り。

  1. 店には、店内で客が好きなだけ食べられるようにネギを提供する義務がある
  2. 店には客を選ぶ権利はあるので、次回以降の利用を断ることはできる
  3. 「ご自由にお取りください」の張り紙は剥がすべき。できない約束を掲げて客を勧誘するのはアンフェアで,大食いに対する『理由なき差別」

3番目は法的見解というほどのものでもないので無視するとして、1、2の見解は法的には概ね正しいと思われる。中には、この弁護士の見解が間違っているという見解もあるが、言葉遊びのようなもので言っていることはほとんど同じである。

「『ご自由にお取りください』ラーメン店でネギを大量に食べたら『出禁』」問題の法的説明のありかたについて

さて、この不毛な論争に僕なりの見解を一つ示しておこう。方向性としては、僕は、ラーメン屋には非常識な客はバシバシ出禁にしてもらって、大半のまともな客が割を食わないような社会になるのが理想だと思う。その思想の下、以下の検討をした。

まず、ネギについて「ご自由にお取りください」という張り紙がある場合、一般人の感覚からすればこの張り紙はいわゆる食べ放題を意味する。そうすると客はネギ食べ放題を前提にラーメンを注文しているのであり、店主もそれを前提にしているのであるから、店主はネギの供給を拒むことは原則としてできない。もし、ほんとは食べ放題でないのに、客をそのように誤信させて金をとったら詐欺である。

もっとも、「ご自由にお取りください」という意味についてももう少し緻密に検討することはできるだろう。一般人が「ご自由にお取りください」という張り紙をみたときに、店の在庫のネギ全てをとっていいとまで思うだろうか。店の供給リソースに限度があること、ネギはラーメンにとって薬味にすぎないこと、ラーメン屋は営利事業であること、他の客の利用もあること等を考慮すれば、食べ放題といえども一定程度の制限があると考えるのが通常である。

そうすると、「ご自由にお取りください」という張り紙がネギになされていた場合、原則として客は好きなだけネギをとることができるが、その量が社会通念上相当と認められる限度を著しく超えるような場合には、店主は相当と認められる限度を超える範囲のネギの供給を拒むことができると解釈するのが相当である。

そのため、店主は明らかに常識を超える量のネギを取ろうとしている客に対して、それ以上のネギの供給を拒んでも債務不履行責任を負うことはないと考える。

なお、それ以降の入店を拒むことは、店には誰と契約するかを選ぶ権利があるので、店の自由であることはいうまでもない。

それにしても、そもそもこんなことが論争になっていること自体が嘆かわしい。まともな人間なら取り放題と書かれていても、常識を超えるような量を取ったり、他の客に迷惑になるような量を取らない。一部の非常識な人間にあわせると、ラーメン屋は「ご自由におとりください」という張り紙を「200gまでご自由におとりください」といった表記に変えなければならなくなる。しかし、そのような社会が本当によいのだろうか。一部の非常識な人間にあわせて社会が動くのは極めて非効率である。非常識な人間は出禁をくらったり差別されてもやむを得ないと考えるべきだろう。

是非ともラーメン屋には大半の客のために強気の姿勢を崩さないで欲しい。