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法廷日記

浦部孝法の日記です。時事問題、法律問題に関して適当に書いています。

問題解決する人、立ち止まる人

今日は問題解決について一言。

例えば、災害などで旅行中に電車が止まってしまったとします。復旧見込みはついていません。そのとき、旅行者は次の2つのタイプに分かれます。

  1. 目的地までの別ルートを考え行動に移す人
  2. ひたすら電車が復旧するのを待ち続ける人

この場合、現状ルートを使わずに目的地にまで到着することという問題が設定されています。この問題に対し、1のタイプの旅行者が問題解決できる人。2のタイプの旅行者が立ち止まる人です。

電車が止まっているくらいだったら、すぐに復旧して問題が勝手に解決するかもしれません。でも、旅行先で予約していたイベントまでの時間が後数十分しかないといった場合だったらどうでしょうか。この場合、問題が勝手に解決してくれることなどありえません。ただちに解決に動かないと楽しみにしていたイベントに行けなくなってしまいます。それでも、立ち止まる人たちは、ただただ愚痴や不満を言い問題解決に動こうとしません。一方、問題を解決できる人たちは「こんなトラブルも旅行のだいごみ」などといって、むしろ状況を楽しむことさえできてしまいます。

電車が止まった場合の別ルート探し程度の問題解決であれば、比較的容易ですのでほとんどの人が問題解決に動けます。しかし、もう少し問題の難易度があがってくると立ち止まってしまう人が増えてきます。

では、どうして人は問題に直面した際ただちに問題解決に動かずに立ち止まってしまうのでしょうか。おそらく、子どもの成長過程において、まわりの大人が本人が直面した問題を代わりに解決してくれていたからだと考えられます。子どものころは、何もしなくても勝手に周囲の大人が問題を解決してくれます。しかも、その解決手段は子どもが自ら選択するものよりも良い結果をもたらすことの方が多いはずです。ある意味、子どもにとっては自ら問題解決に動くよりも、じっと立ち止まって誰かが問題を解決してくれるのを待つのが最善の選択だったのです。特に過保護に育てられた人は、立ち止まるタイプになりやすいと思います。

しかし、成長して大人になればまわりに問題を解決してくれる大人は一気に少なくなります。また本人が直面する問題は子ども時代のそれに比べはるかに難易度が上がっています。もう子どものころとは異なり、誰もが自分で問題解決に動かざるをえなくなるのです。それでも、まわりの人に問題解決を依存してきた人たちは自分で問題解決に動くことはなかなかできません。

問題に直面したときに認識しておかなければならないことは、「問題が勝手に解決することはまずありえない。」ということです。仕事でいえば営業成績が悪いのを放置しておけばどんどん悪化する一方で、なにもせずに勝手に改善することなど景気などの外部事情に頼らない限りまずありえません。家庭でいえば、夫婦仲が悪いのを放置していれば、夫婦仲は悪くなる一方です。

問題は自分で解決するしかないという覚悟さえできてしまえば、案外なんとかなるもので、問題解決自体楽しいものだったりもします。仮に失敗したとしても、次の問題に直面したときにそのときの経験が生きてきます。

問題解決できる人になりたいか、立ち止まる人のままでいいか、もう答えは決まっているでしょう。