法廷日記

浦部孝法の日記です。時事問題、法律問題に関して適当に書いています。

ドラえもんのストーリーから見出せるブス差別の根深さ

先日、スタンダバイミードラえもんというドラえもんの3D映画を視てきた。

ストーリーはご存知の方も多いと思うが、主人公のび太の孫の孫のセワシがのび太の悲惨な未来を変えるためにドラえもんを派遣するという話だ。

のび太の未来は、就職失敗→起業→会社が火事で倒産→莫大な借金という不幸に見舞われる予定とのことだ。その結果、子孫であるセワシも貧乏で苦労させられている。

しかし、ストーリーの焦点は、就職失敗などの部分ではなくのび太の結婚相手に絞られている。すなわち、のび太はジャイ子と結婚する予定だったのだが、それをヒロイン役のしずかちゃんに変更しようというストーリー展開となっている。

ジャイ子というのは、一目見てブスに設定されており、一方しずかちゃんは美人として設定されている。

ここで一つ確認しておかなければならないことがある。そもそものび太の不幸の直接のきっかけは、設立した会社が火事で倒産したことによる莫大な借金である。さらに因果関係をさかのぼっていけば、起業に追い込まれたきっかけである就職の失敗が災難の元だろう。この点について、結婚相手がジャイ子であるかしずかちゃんであるかは基本的に関係がない。問題なのはのび太が就職に失敗したことなのだ。

そうであるにもかかわらず、ドラえもんのストーリーでは、のび太の結婚相手がジャイ子であるか、しずかちゃんであるかがあたかも重要なことのように描かれている。

これは、美人と結婚するのは幸せで、ブスと結婚するのは不幸だという意識が背景にあるからにほかならない。しかし、これはブスに対する不当な差別ではないか。

差別の歴史を振り返ってみると、歴史的に差別の対象とされてきたのは人種だったり性別、身分などの生まれに関する事項であった。今では、これらの事由で差別をすることがよくないということは社会共通の認識となっているだろう。例えば、白人と結婚するのは幸せで、アジア人と結婚するのは不幸という設定のドラマを作ったらかなりのバッシングを受けるだろう。

では、今日にいたって我々はなぜ人種や性別、身分などによる差別に不快感をもつようになったのだろうか。おそらく、その理由はそれらの事項は自分の力によって変えることができないからであろう。

ここで、美人かブスかを考えると、美人に生まれるかどうかは生まれもってのものであって、自分の力ではどうしようもない事項である。そう考えた場合、本来美人かブスかという容姿による差別も禁止されるべきではないかが問題となる。

しかし、ドラえもんのストーリー中の不合理なブス差別について、世間から特に反発はない。これは世間がブス差別を社会的に許容していることに他ならない。このブス差別が許されている根拠について考察することは社会的に意義があるかもしれない。